麻生醤油醸造場のあゆみ
九重町における醸造のむかし
時に元治元年(一八六四年)、九州最高峰を誇る九重連山の水源をたたえる玖珠盆地において、麻生家初代当主麻生東江(とうこう)が醸造業を興しました。当時は、屋号を「舟来屋(ふなこや)」と称していました。
当社は、その当時の屋号を基に標章「ヤマフネ」ブランドを興し守り続けています。
九重町の老舗酒造である八鹿酒造株式会社とも同じルーツを持っており、舟来屋を興した麻生東江とその息子であり二代目の豊助(とよすけ)は地域の重大課題であった九重町の灌漑水利のために私財を投げうち、家業である醸造業に影響をきたすほどの尽力をして地域にとってたいへんな貢献をしたそうです。東江・豊助の二代にわたる想いと事業は次代へと受け継がれ、麻生家三代目となった観八(かんぱち)は井路の開拓を実現させ、かつ醸造業の再興を導くに至ります。
観八は日田の豪商・草野家一族のうち酒造業を営む家の出でしたが、十二歳の時に家業が経営破綻したこともあって、家の再興への意欲は並々ならぬものがあったといいます。そんな彼は十五歳の時に麻生家の養子となり、酒造業の再興を果たします(現・八鹿酒造)。製造技術の追求だけでなく販路開拓にもたいへんな努力をして、家業が軌道に乗った後はついに先代の果たせなかった夢である九重町の灌漑水利事業を完成させ、その後二十年の長きにわたり国鉄久大線の敷設にも多大な貢献をしました。三代目観八の生涯をかけた地域貢献を讃え、九重町では毎年5月10日に麻生観八翁の遺徳を偲ぶ銅像祭が開催されています。
地元九重の醸造元として
以後、当家では、麻生酒造場(豊助の弟良策が経営)、玖珠実業銀行(良策の息子邦太郎が初代頭取、現・大分銀行)を営んできました。そして、昭和27年良策の孫で邦太郎の息子 麻生秀雄(ひでお)が正式に有限会社麻生醤油醸造場を設立し、味噌・醤油醸造元としてスタートをきることになりました。
伝統製法を学んだ創業者秀雄と、東京農大農学部醸造学科で専門技術を学んだ息子・靖(やすし)は、共に新商品開発に尽力し、農林水産省後援全国味噌鑑評会に於いて、農林水産大臣賞(2回)、食料産業局長賞(7回)と県内でも大手メーカーに引けをとらない数多くの表彰をいただきました。
創業以来、自然とともに素材を生かす製法を守り、確かな技術によって作られる麻生醤油の味噌・醤油。九重連山の麓にある、先人が撓まぬ努力を重ねてできたこの土地で、自然とともにある天然醸造文化を守っていくことを私たちの使命として掲げてきました。
これからの使命
現代表・隆一朗(りゅういちろう)は、創業70年を目前に迎える麻生醤油醸造場の使命を守り、発展させていきます。先々代から受け継がれる技術を身につけた従業員とともに、先代より引き継いだ商品開発力を駆使し、従来の味噌・醤油の製造のほか、調味料や発酵食品などを、現代の家庭生活に寄り添う商品開発を続けています。麻生醤油の味噌・醤油をベースにした調味料や薬味・発酵食品などは、ご自宅用のみならず、特別な方への贈答用としてもご愛顧いただけるようになりました。
食生活の多様化にともないご家庭での味噌・醤油を味わう機会は縮小傾向ではありますが、こうした現代の食文化の変化に合わせ、いつでも皆さまの側に置いて、食卓に安らぎと笑顔を作っていただきたい。この素晴らしい発酵食品の文化を生かしていく意義はそこにあるととらえ、私たち麻生醤油醸造場は、日本古来から受け継がれる発酵食品の文化を発信し続けます。